こんにちは。
やまびとノートの中の人、オシマです。
印伝の歴史に興味あるけど、いつ頃生まれた工芸品なの?
きれいな紋様と使い勝手のいい革製品として有名な印伝ですが、今回はその歴史についてまとめて紹介しますね。
漆革の歴史【〜江戸時代以前】
漆(うるし)革の歴史を、まずは縄文時代〜安土桃山時代に区切って説明していきますね。
※この記事では、漆革を鹿革 × 漆として紹介しています。
縄文時代〜室町時代
漆革の歴史はとても古く、1300年以上前の縄文時代から存在したとされています。
古事記のヤマトタケル伝承にも記載があり、鹿革の柔軟さと漆の丈夫さは戦でつかう甲冑や宝物箱に使用されていました。
縄文時代!土器や石斧ってイメージがあるけど、漆革もあったんだね〜。
室町時代中期に起きた応仁の乱以降、武具などに鹿革を使用するため、日本各地に鹿の皮をなめす技術が浸透していきます。
戦国時代〜安土桃山時代
戦国時代後期に、戦のスタイルは銃によって大きく変わります。
甲冑は鉄製がメインとなり、漆革は特別な武将鎧の一部として使われる他に、袋などの日用品へと姿を変えていきました。
信玄袋(合切袋)もこの頃に生まれ、今にいたるまでポピュラーな小物入れととして人気です。
戦によって、漆革の使い方も変わっていったんだね。
印伝(漆革)の歴史【江戸時代以降】
江戸時代初期(1624~1643年頃)に、東インド会社から”応帝亜(インデヤ)革”と呼ばれる装飾革が日本に輸入されました。
「印伝」という名は、このインデヤ革を生産していた印度(インド)が印伝に、またはインド伝来であるがゆえに印伝となった、と言われています。
インデヤ革の美しい色どりと模様は、日本に元からあった”革 × 漆”の組み合わせで再現できることから、模倣は全国各地に広まりました。
しかし、漆がぷっくらと浮き上がる技術を持っていたのが山梨県(甲州)で作られていた印伝のみであり、その他の産地はしだいに淘汰されていきます。
昭和時代になると、甲州でつくられた印伝は国の指定伝統工芸品として認められ、300年以上の間、”甲州印伝”として広く親しまれる日用品となっています。
日本古来の技術に、インドのスパイスが加わって印伝はできたんだね、、印伝は、漆革のカレーみたいだね。
…ふふふっ。
まとめ
引用:amazon
技術は同じでも、印伝とは呼ばれていなかった縄文時代から、鹿革 × 漆の歴史をまとめてました。
いまでは甲州印伝としてグッチやティファニーという世界ブランドともコラボしていますが、実はインド伝来の装飾革かつ、独自の技術をもった甲州ならではの製品だったんですね。
縄文時代からの流れを引き継いでいるなんて、歴史を感じるね〜
印伝のブランドを詳しくみてみたい方は、こちらものぞいてみてくださいね。
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